翌朝――朝食の為にオリビアがダイニングルームへ行くと、既にランドルフが席に着いて新聞を食い入るように見つめていた。食事の席は父とオリビアの分しか用意されていない。オリビアが席に着いてもラドルフは気付かぬ様子で新聞を読んでいる。(一体、何をそんなに熱心に読んでいるのかしら?)訝しく思いながら、オリビアは声をかけた。「おはようございます、お父様」「え!?」ランドルフの肩がビクリと大袈裟に跳ね、驚いた様子で新聞を置いた。「あ、ああ。おはよう、オリビア。それでは早速食事にしようか?」「はい、そうですね」そして2人だけの朝食が始まった――「あの……お父様。聞きたいことがあるのですが、よろしいですか?」食事が始まるとすぐにオリビアはランドルフに質問した。「何だ?」「今朝はお兄様の姿が見えませんね。まさか、もうここを出て行かれたのですか?」「そのまさかだ。ミハエルは夜明け前に自分が選別した幾人かの使用人を連れて、屋敷を去って行った。多分、もう二度とここに戻ることはあるまい」オリビアがその話に驚いたのは言うまでもない。「何ですって? お兄様が1人で『ダスト』村へ行ったわけではないのですか?」「私もミハエル1人で行かせるつもりだった。だが、あいつは絶対に自分一人で行くのは無理だと駄々をこねたのだ。身の回りの世話をする者がいなければ生きていけるはず無いだろうと言ってな。いくら言っても言うことをきかない。それで勝手にしろと言ったら、本当に自分で勝手に使用人を選別して連れて行ってしまったのだよ」そしてランドルフはため息をつく。「そんな……それでは誰が連れていかれたかご存知ですか?」「う~ん……私が分かっているの2人だけだな。1人はミハエルの新しいフットマンになったトビー。もう1人は御者のテッドだ。後は知らん」「えっ!? トビーにテッドですか!?」「何だ? 2人を知っているのか?」「え、ええ。まぁ……」知っているどころではない。トビーをミハエルの専属フットマンに任命したのはオリビア自身だ。そして御者のテッドは近々結婚を考えている女性がいるのだから。「何て気の毒な……」思わずポツリと呟く。「まぁ、確かに『ダスト』村は何にも無いさびれた村だ。だが、存外悪くないと思うぞ? トビーは身体を動かすのが大好きな男だ。あの村は開拓途中だからな、
「そう言えばお父様。先程熱心に新聞を読んでおられましたが、何か気になる記事でもあったのですか?」珍しく食後のお茶を飲みながら、オリビアはランドルフに尋ねた。「ギクッ!」ランドルフの肩が大きく跳ねる。「ギク……? 今、ギクと仰いましたか?」「あ、ああ……そ、そうだったかな……?」かなり動揺しているのか、ランドルフは自分のカップにドボドボと角砂糖を投入し、カチャカチャとスプーンで混ぜた。「あの、お父様。さすがにそれは入れ過ぎでは……?」しかし、ランドルフは制止も聞かず、グイッとカップの中身を飲み干す。「うへぇ! 甘すぎる!」「当然です。先程角砂糖を7個も入れていましたよ。それよりもその動揺具合……さては何かありましたね? 一体何が新聞に書かれていたのですか?」オリビアはテーブルに乗っていた新聞に手を伸ばす。「よせ! 見るな!」当然の如く、新聞を広げて凝視するオリビア。「……なるほど……そういうことでしたか」新聞記事の中央。つまり一番目立つ場所にはランドルフの顔写真付きの記事が載っていた。『ランドルフ・フォード子爵、別名美食貴族。裏金を受け取り、実際とは異なる飲食店情報を記載。被害店舗続出』大きな見出しで詳細が詳しく書かれている。(マックス……うまくやってくれたみたいね)オリビアは素知らぬ顔でランドルフに尋ねた。「お父様、こちらに書かれている記事は事実なのですか?」「……」しかし、ランドルフは口を閉ざしたままだ。「お父様、正直にお答えください」すると……。「そう、この記事の言う通りだ! 私は『美食貴族』として界隈で名高いランドルフ・フォードだ! 私のコラム1つで、その店の評判が決まると言っても過言では無い! 店の評判を上げて欲しいと言ってすり寄ってくるオーナーや、ライバル店を潰して欲しいと言って近付く腹黒オーナーだって掃いて捨てる程いる! だから私は彼らの望みを叶える為にコラムを書いてやった! これも人助けなのだよ!」ついにランドルフは開き直った。「それなのに……一体、どこで裏金の話がバレてしまったのだ……? そのせいで、もう私は『美食貴族』の称号と、コラムニストの副業を失ってしまった。それだけではない、この町全ての飲食店に出入り禁止にされてしまったのだよ! もし入店しようものなら……け、警察に通報すると! もう駄目
20歳の子爵家令嬢――オリビア・フォード。背中まで届くダークブロンドの髪に、グレイの瞳の彼女は貴族令嬢でありながら地味で目立たない存在だった――――7時半いつものようにオリビアはダイニングルームに向って歩いていた。途中、何人かの使用人たちにすれ違うも、誰一人彼女に挨拶をする者はいない。 使用人たちは彼女をチラリと一瞥するか、これみよがしにヒソヒソと囁き嫌がらせをする者たちばかりだった。「いつ見ても辛気臭い姿ね」突如、オリビアの耳にあからさまな侮蔑の言葉が聞こえてきた。思わず声の聞こえた方向に視線を移せば、義妹のお気に入りの2人のメイドがこちらをじっと見つめている。「あー忙しい、忙しい」 「仕事に行きましょう」目が合うと2人のメイドは視線をそらし、そのまま通り過ぎて行った。「ふん、この屋敷の厄介者のくせに」一人のメイドがすれ違いざまに聞えよがしに言い放った。「!」その言葉に足が止まりメイド達を振り返ると、楽しげに会話をしながら歩き去っていく様子が見えた。「はぁ……」小さくため息をつくと、再びオリビアはダイニングルームへ向った―― ダイニングルームに到着すると、既にテーブルには家族全員が揃い、楽しげに会話をしながら食事をしていた。「そうか、それでは騎士入団試験に合格したということだな?」父親が長男のミハエルと会話をしている。「はい。大学卒業後は王宮の騎士団に配属されることが決定となりました」「そうか、それはすごいな。私も鼻が高い」「お兄様、素晴らしいですわ」ミハエルとは腹違いの妹、シャロンが笑顔になる。 そこへ、遅れてきたオリビアが遠慮がちに声をかけた。「おはようございます……遅くなって申し訳ありません」しかし彼女の言葉に返事をする者は誰もいないし、椅子を引いてくれる給仕もいない。テーブルの前には既に食事が並べられており、オリビアは無言で着席した。 食事の席に遅れてくるのには、理由があった。それは彼女だけが家族から疎外されていたからだ。 父親からは疎まれ、3歳年上の兄ミハエルからは憎まれている。義母からは無視され、15歳の異母妹からは馬鹿にされる……そんな家族ばかりが集まる食卓に就きたいはずはなかった。 そこで出来るだけ遅れて現れるようにしていたのである。オリビアが静かに食事を始めると義母がよく通る声で自慢
「それでは失礼いたします」朝食を終えたオリビアが席を立っても返事をするものは誰もいない。これもいつものことだ。オリビアは軽く会釈すると、そのままダイニングルームを後にした。廊下を歩くオリビアにすれ違う使用人たちは挨拶どころか、目を合わそうともしない。何故、彼女1人がこのような状況下に置かれているのか……それは彼女が、この屋敷では厄介者だったからだ――****オリビアの母は彼女を出産と同時にこの世を去った。愛する人を失った父と母親が大好きだった兄の喪失感は計り知れず、亡くなった原因をつくった怒りの矛先がオリビアに向けられたのだ。2人はオリビアと関わることを極力避け、彼女はメイドの手によって交代で育てられた。まだ幼かったオリビアは自分が何故父からも兄からも嫌われているのか理解できなかったが、心無いメイドの言葉で理由を知ることになる。『オリビア様のお母様は、あなたを産んだことで、亡くなってしまったのですよ』母が死んだ理由を知ったオリビアは少しでも自分を好きになってもらうために、父と兄に一生懸命愛嬌を振りまいた。絵のプレゼントや、花壇から花を摘んで花束にして渡そうと試みたが、2人は冷たい視線を投げつけるだけで受け取ってくれることは無かった。結局オリビアはプレゼントを渡すことは諦め、せめて2人と話をするときは笑顔になろうと決めた。たとえ相手にされなくても笑顔でいれば、いつかきっと2人は私を好きになってくれるはず――!そんな未来を思い描いていた矢先、父の再婚話が浮上したのである。相手の女性は当時まだ20歳になったばかりの男爵令嬢。父は彼女と再婚し……2年後、オリビアが5歳の時に異母妹となるシャロンが誕生した。 オリビアは妹の誕生に喜び、仲良くなるためにシャロンに近づいた。しかし、元からオリビアを良く思っていなかった義母がそれを許すはずなど無かった。徹底的にオリビアを遠ざけ、シャロンの前で罵倒する。そして見て見ぬふりをする父と兄。当然。シャロンもオリビアを馬鹿にするようになってしまったのだった――****「ふぅ……やっぱり自分の部屋は落ち着くわね……」部屋に戻ってきたオリビアはため息をつくと大学へ行く準備を始めた。彼女は現在、エリート貴族のみが通うことの出来る大学へ通っている。この大学は兄のミハエルすら通えなかった名門大学であり、そ
石畳の町並みを赤い自転車に乗って、颯爽とペダルをこぐオリビア。大学までの道のりは自転車で片道30分。決して近い距離では無かったが、御者の顔色を伺いながら馬車に乗せてもらうよりも余程気が楽だった。何より風を切って自転車をこぐのは気持ちが良い。いつものように正門を自転車で通り抜けると、学生たちの好奇に満ちた視線が向けられる。はじめはその視線が気まずかったが、今ではすっかり慣れてしまっていた。正門の隅の方に自転車を止めると、前方から友人のエレナが手を振って近づいてきた。彼女はオリビアの自転車に興味を持ったことがきっかけで友人になれた一人でもある。「おはよう、今日も自転車で通学してきたのね?」「ええ、だってとても良い天気じゃない。多分、この様子だと雨は降らないはずよ」空を見上げれば、雲一つ無い青空が広がっている。「それじゃ、教室に行きましょう」「ええ、そうね」エレナに誘われ笑顔で返事をすると、2人で校舎へ向って並んで歩き始めた。「あのね、オリビア。私も実はあなたにならって自転車を買ったのよ」「え? そうなの? それは驚きだわ」「これも全てあなたの影響ね。ようやく少しずつ乗れるようになってきたところなの。やっぱりいつまでも、どこかへ行くのに、御者に頼るのっていやだったのよね。少しは自立出来るようにならないと」「……そうね」オリビアは曖昧に返事をした。家族関係が良好なエレナには自分の置かれた境遇をどうしても言えなかったのだ。(家族や使用人たちから冷遇されているので、馬車にも乗りづらくて自転車を使っているなんて絶対エレナには言えないわ。もしそのことを知れば、きっと気を使わせてしまうもの)「そう言えば、来月は秋の学園祭ね。後夜祭はダンスパーティーがあるけれど、パートナーはギスランと参加するのでしょう?」不意に話題を変えてくるエレナ。ギスランは同じ大学に通う同級生であり、親同士が決めたオリビアの婚約者でもあった。「ギスランがパートナーになってくれるかどうかは……まだ分からないわ」オリビアの顔が曇る。「あら? どうしてなの?」「それ……は……」オリビアはそこで言い淀む。なぜならギスランはここ最近、急激に大人っぽくなった異母妹のシャロンに夢中になっていたからだ。オリビアに会いに来たと言っては、シャロンと2人だけでお茶を楽しむような関
「何を怒ってらっしゃるのですか? ディートリッヒ様」侯爵令嬢アデリーナは真っ直ぐにディートリッヒを見つめている。「お前は俺が何故怒っているのか分からないのか!?」ディートリッヒはアデリーナを指さした。「ええ、分かりませんから尋ねているのです。それはさておき……ディートリッヒ様」キッとアデリーナはディートリッヒに鋭い目を向ける。「な、何だ?」「いくらなんでも、人を指差すのはどうかと思いませんか? 礼儀という言葉を、もしやご存じないのでしょうか?」「何っ! おまえ、誰に対してそんな口を叩くんだ! 仮にも俺は……!」「ええ、ディートリッヒ・バスク侯爵。私の婚約者ですわよね? それなのに何故でしょう? 私よりも、そちらの令嬢と親しげに見えるのですが」そして栗毛色の女子学生を見つめた。「こ、怖い! ディートリッヒ様!」女子学生は咄嗟にディートリッヒの背後に隠れた。「大丈夫、俺がついている。サンドラ」サンドラと呼ばれた女子学生を慰めるように髪を撫でると、再びアデリーナを指さすディートリッヒ。「そんな目付きの悪い目で睨みつけるな! サンドラが怖がっているだろう!」「別に睨みつけてなどいませんわ。私は元々このような目つきですから。ですが先ほども申し上げましたが、あまり2人きりで学園内を歩き回られないようにお願いいたします。一応、私とディートリッヒ様は婚約者同士なのですから」「な、何だと……大体、お前と俺は親同士が勝手に決めた婚約者なだけであって、お前のことなんか認めていないからな!」「別に認めていただかなくても、私は一向に構いませんが?」「な、何だって!? 全く本当に可愛げのない女だ。サンドラ、あんな女は放っておこう」「はい、ディートリッヒ様」ディートリッヒはサンドラの肩を抱き寄せると、去っていった。「……全く、呆れた男ね。私達の婚約は覆すことなど出来ないのに」アデリーナは気にする素振りもなく、踵を返し……。「あら?」ことの一部始終を物陰から見ていたオリビアとエレナに鉢合わせしてしまった。「「あ……」」3人の間に気まずい雰囲気が流れる。「あなたたちは……?」怪訝そうに首を傾げるアデリーナ。すると――「た、大変申し訳ございませんでした! 中庭で大きな声が聞こえたので、つい何事かと思って……決して覗き見をしようとしていたわけ
その日の昼休みのこと――オリビアとエレナが大学内に併設されたカフェテリアで食事のお茶を飲んでいるときのことだった。「え? 何て言ったの? オリビア」ココアを飲んでいたエレナが首を傾げる。「だから、アデリーナ様とお近づきになるにはどうしたらいいのかと相談しているのよ」オリビアは紅茶を口にした。「お近づきになるなんて……あの方は4年生で、しかも侯爵令嬢なのよ? 私達みたいな子爵家の者が迂闊に近づけるような方じゃないわ。しかもね……」エレナは辺りをキョロキョロ見渡し、オリビアに顔を近づけてきた。「アデリーナ様って、気が強いことから……一部の女子学生たちから恐れられているの。どうやら悪女って言われているらしいわ」「悪女ですって!」驚きでオリビアの口から大きな声が飛び出す。その言葉に周囲に座っていた学生たちが一斉に2人に注目する。「ちょ、ちょっと! 声が大きいわよ! 周りに聞こえるじゃないの!」エレナが小声で注意した。「ごめんなさい。ちょっと驚いてしまって……でも、何故悪女と呼ばれるのかしら。自分の婚約者が他の女性と一緒にいれば注意するのは当然だと思うけど……」オリビアは婚約者と妹の仲が良いのに、咎めることが出来ない自分と比較する。「そう言えば、オリビア。今朝、ギスランが後夜祭のダンスパートナーになってくれるか分からないと言ってたけど……最近、どうしてしまったの? 以前は大学内で時々一緒に行動していたのに、最近はさっぱりじゃないの。もしかして何かあったの?」「それは……」エレナに今の自分の現状を説明しようか、迷ったそのとき。「あれ? その後ろ姿……もしかして、オリビアじゃないか?」不意に背後から声をかけられた。「え?」振り向くと、婚約者のギスランが友人たちと一緒にいた。「ギスラン!」婚約者から声をかけられたことが嬉しくてオリビアは立ち上がり、笑みを浮かべる。「ちょうど良かった。今度の休みに、またお邪魔しようかと思っていたんだ。都合は大丈夫そう?」「そうだったのね? ええ、勿論大丈夫よ」笑顔のままオリビアは頷き……次の瞬間、凍りつくことになる。「そうか、ではシャロンによろしく伝えておいてくれ」「!」オリビアの肩がビクリと跳ね、エレナの息を呑む気配が伝わってくる。「え、ええ。あなたが来るから家にいるようにってシャロン
――16時本日全ての講義が終わって帰り支度をしているオリビアに、エレナが声をかけてきた。「それじゃ、オリビア。また明日ね」「ええ、また明日」エレナは手を振ると、急ぎ足で去って行った。教室の入口には彼女の婚約者、カールが待っている。「……2人で一緒に帰るのね。デートでもするのかしら?」ポツリとつぶやき、ギスランの顔を思い浮かべた。オリビアとギスランは子供時代から婚約者していたが、一度も一緒に登下校したこともなければ2人きりで出かけたこともない。ただ月に数回、学校が休みの週末にだけ顔合わせという名目でどちらかの屋敷で会うだけだった。その際、特に会話をするわけでもない。同じ空間にいれば良いだけなので、ギスランはいつも持参した本を読み、オリビアを相手にしようとはしない。そこでオリビアは出来るだけ読書の邪魔にならないように、気を使って静かに刺繍をして過ごし……時間になるとギスランは帰って行く。そんな関係がずっと続いていた。本当はもっとギスランと仲良くなりたいと思っていた。しかし、相手がそれを望んでいない以上どうすることも出来なかった。どうせいずれは結婚するのだから、2人の関係もそのうち変わって来るだろうとオリビアは割り切ることにしたのだが……シャロンが15歳になった頃から変化が起こり始めた。気づけばギスランとシャロンが急接近し、オリビアとの距離が遠のいていたのだ。2人はオリビアが気づかない間に親密になり……今では隠すこと無く堂々と一緒に過ごすようになっていた。それが、たとえオリビアの眼の前であろうとも。「……仕方ないわね。シャロンは私と違って、可愛らしくて魅力的だもの……」ポツリとつぶやき、自分のダークブロンドの髪にそっと触れる。シャロンの髪はオリビアと違い、眩しく光り輝くようなプラチナブロンドだった。瞳は深い海のような青い色。容姿だけでは、どれもオリビアには敵わない。ただ、シャロンより秀でていることがあるとすれば頭の良さだけだったろう。オリビアは才女だったが、シャロンはそれほど賢くは無かった。だが、頭の良い女性は男性からは敬遠されがちだった。「婚約解消されるのも時間の問題かもしれないわね……そして代わりにシャロンと……」ため息をつくとオリビアは立ち上がり、教室を後にした――**** オリビアは大学の図書館を訪れていた。家
「そう言えばお父様。先程熱心に新聞を読んでおられましたが、何か気になる記事でもあったのですか?」珍しく食後のお茶を飲みながら、オリビアはランドルフに尋ねた。「ギクッ!」ランドルフの肩が大きく跳ねる。「ギク……? 今、ギクと仰いましたか?」「あ、ああ……そ、そうだったかな……?」かなり動揺しているのか、ランドルフは自分のカップにドボドボと角砂糖を投入し、カチャカチャとスプーンで混ぜた。「あの、お父様。さすがにそれは入れ過ぎでは……?」しかし、ランドルフは制止も聞かず、グイッとカップの中身を飲み干す。「うへぇ! 甘すぎる!」「当然です。先程角砂糖を7個も入れていましたよ。それよりもその動揺具合……さては何かありましたね? 一体何が新聞に書かれていたのですか?」オリビアはテーブルに乗っていた新聞に手を伸ばす。「よせ! 見るな!」当然の如く、新聞を広げて凝視するオリビア。「……なるほど……そういうことでしたか」新聞記事の中央。つまり一番目立つ場所にはランドルフの顔写真付きの記事が載っていた。『ランドルフ・フォード子爵、別名美食貴族。裏金を受け取り、実際とは異なる飲食店情報を記載。被害店舗続出』大きな見出しで詳細が詳しく書かれている。(マックス……うまくやってくれたみたいね)オリビアは素知らぬ顔でランドルフに尋ねた。「お父様、こちらに書かれている記事は事実なのですか?」「……」しかし、ランドルフは口を閉ざしたままだ。「お父様、正直にお答えください」すると……。「そう、この記事の言う通りだ! 私は『美食貴族』として界隈で名高いランドルフ・フォードだ! 私のコラム1つで、その店の評判が決まると言っても過言では無い! 店の評判を上げて欲しいと言ってすり寄ってくるオーナーや、ライバル店を潰して欲しいと言って近付く腹黒オーナーだって掃いて捨てる程いる! だから私は彼らの望みを叶える為にコラムを書いてやった! これも人助けなのだよ!」ついにランドルフは開き直った。「それなのに……一体、どこで裏金の話がバレてしまったのだ……? そのせいで、もう私は『美食貴族』の称号と、コラムニストの副業を失ってしまった。それだけではない、この町全ての飲食店に出入り禁止にされてしまったのだよ! もし入店しようものなら……け、警察に通報すると! もう駄目
翌朝――朝食の為にオリビアがダイニングルームへ行くと、既にランドルフが席に着いて新聞を食い入るように見つめていた。食事の席は父とオリビアの分しか用意されていない。オリビアが席に着いてもラドルフは気付かぬ様子で新聞を読んでいる。(一体、何をそんなに熱心に読んでいるのかしら?)訝しく思いながら、オリビアは声をかけた。「おはようございます、お父様」「え!?」ランドルフの肩がビクリと大袈裟に跳ね、驚いた様子で新聞を置いた。「あ、ああ。おはよう、オリビア。それでは早速食事にしようか?」「はい、そうですね」そして2人だけの朝食が始まった――「あの……お父様。聞きたいことがあるのですが、よろしいですか?」食事が始まるとすぐにオリビアはランドルフに質問した。「何だ?」「今朝はお兄様の姿が見えませんね。まさか、もうここを出て行かれたのですか?」「そのまさかだ。ミハエルは夜明け前に自分が選別した幾人かの使用人を連れて、屋敷を去って行った。多分、もう二度とここに戻ることはあるまい」オリビアがその話に驚いたのは言うまでもない。「何ですって? お兄様が1人で『ダスト』村へ行ったわけではないのですか?」「私もミハエル1人で行かせるつもりだった。だが、あいつは絶対に自分一人で行くのは無理だと駄々をこねたのだ。身の回りの世話をする者がいなければ生きていけるはず無いだろうと言ってな。いくら言っても言うことをきかない。それで勝手にしろと言ったら、本当に自分で勝手に使用人を選別して連れて行ってしまったのだよ」そしてランドルフはため息をつく。「そんな……それでは誰が連れていかれたかご存知ですか?」「う~ん……私が分かっているの2人だけだな。1人はミハエルの新しいフットマンになったトビー。もう1人は御者のテッドだ。後は知らん」「えっ!? トビーにテッドですか!?」「何だ? 2人を知っているのか?」「え、ええ。まぁ……」知っているどころではない。トビーをミハエルの専属フットマンに任命したのはオリビア自身だ。そして御者のテッドは近々結婚を考えている女性がいるのだから。「何て気の毒な……」思わずポツリと呟く。「まぁ、確かに『ダスト』村は何にも無いさびれた村だ。だが、存外悪くないと思うぞ? トビーは身体を動かすのが大好きな男だ。あの村は開拓途中だからな、
「そ、そんな! それだけのことで追い出すなんて、俺は何処に行けばいいのです!? まだ卒業もしていないし、無職決定なのに! それに、第一俺がここを出て行ってしまったら誰がフォード家の後を継ぐのです!?」ワインの注がれたグラスを手にしたまま、喚くミハエル。かなり興奮しているのか、グラスのワインが今にもこぼれそうなほどに揺れている。「卒業だと!? お前はもう退学だ! もはやお前の居場所はここにはないのだ!」ランドルフがビシッとミハエルを指さす。「酷いじゃないですか! 来月卒業なのですよ? 中退なんて恥ずかしいです! せめて卒業くらいさせて下さいよぉ! 働き口を無くしてしまった哀れな息子を追い出さないで下さい! 俺がどこかで野垂れ死んでしまってもいいのですか!?」「黙れ! 大学に残る方が余程恥ずかしい事だと思わないのか!? 後ろ指をさされ、踏みつけ、詰られて石をぶつけられても良いのか!? 退学はお前の為でもあるのだ!」青筋を立てながら怒鳴るランドルフ。その様子をオリビアはワインを飲みながら冷静に見つめていた。(さすがにそこまではされないのじゃないかしら。でも中退させるのが兄の為だと言っているけれども……嘘だわ。きっと大学ヘそのまま通わせるのはお金がもったいないと思っているのよ)2人の言い合いはまだ続き、無言で食事を続けるオリビア。(全く、うるさい2人ね……さっさと食事を終わらせて退席しましょう)ランドルフもミハエルもワインを飲みながら口論するので、徐々にヒートアップしてきた。「分かりました……それでは百歩譲って、退学をするとしましょう。ではその後は? 追い出された俺は一体どこで暮らせばいいのです!」そしてミハエルはグイッとワインを飲み干す。「そんなのは知らん! ……と、言いたいところだが私もそこまで鬼ではない。ミハエルよ。お前には『ダスト』の村へ行ってもらう! あの村もフォード家の領地であることは知っているな!」「え……? 『ダスト』村……? ひょっとしてまだあの村が残っていたのですか!」ミハエルが目を見開く。『ダスト』村はの話はオリビアも聞いたことがある。フォード家は広大な土地を所有していたが、ぺんぺん草すら生えない荒地が半数を占めている。その中でも特に『ダスト』村は最も貧しい村だった。畑を耕しても、瘦せた土地ではサツマイモやジャガ
――その日の夕食の席のこと。フォード家では基本、食事は家族と一緒にという家訓の元、オリビアは嫌々ダイニングルームへやってきた。「よぉ、オリビア。待っていたぞ」テーブルには「引きこもり宣言」をした兄、ミハエルが陽気な声で挨拶してくる。既に引きこもり生活に突入したつもりでいるのか、襟元がだらしなく着崩れた姿の兄を見て、オリビアは眉を顰める。「お兄様、もうテーブルに着いていたのですね。お早いことで」嫌味を込めて言ったつもりだが、ミハエルには通用しない。「まぁな。俺は今日から引きこもりになると決めたから暇人なんだ。今や、一番の楽しみは食事になってしまった。だからいち早くここに来たと言う訳さ。それにしても見て見ろ。今夜は御馳走だぞ?」「確かにそうですね……」着席しながらテーブルに並べられた料理を見つめるオリビア。フォード家の食事はもともと豪華だが、今夜はいつも以上に豪華だ。しかも料理の品数も2~3品多い。(どうして今夜はこんなに食事が豪華なのかしら……? まるでお祝いの席みたい)そこまで考え、ハッとした。(まさか、お父様は兄が王宮騎士団から追放されて、引きこもり宣言をしたことに気付いていないのかしら?)「それにしても、一体今夜はどうしたっていうのだろう? まるで祝いの席の様だ。ひょっとして俺の引きこもり生活の門出を祝う席でも設けてくれたのだろうか? いや、流石にそれはないだろう。ハッハッハッ!」まるでアルコールで酔っぱらっているような兄に、オリビアは思いっきり軽蔑の眼差しを向けた。「お兄様……ひょっとして夕食の前から既にお酒を召されているのですか?」「失敬な! 今の俺はシラフだぞ。それは確かに……王宮騎士団をクビにされ、帰宅した直後に少々ワインは飲んだが……今はとっくに、酔いは冷めている!」「はぁ……そうなのですね」つまり、ミハエルがあれ程吠えていたのは、酔いも手伝ってと言う事だったのだ。「それより、父は遅いな……いつもならとっくに席に着いているのに……」ミハエルがそこまで口にしたとき。「待たせたな」父、ランドルフがダイニングルームに現れて着席した。「それでは、早速食事にしよう」ランドルフの言葉に給仕達が現れ、温かい料理を運んでくる。その様子を嬉しそうにミハエルは眺めているが、父は浮かない顔をしている。(変ね……いつものお
「成程、引きこもりですか……?」オリビアは吹き出しそうになるのを必死に堪えながら頷く。何しろ王宮騎士団に入れるのは、全員貴族と決められている。国王直属の騎士になるのだから、当然と言えば当然のこと。その貴族たちの前で恥をさらされたのだから、ダメージは相当のものだろう。王宮騎士団に入団すると言うのは、大変名誉なことだった。高学歴も必要とされ、大学を卒業見込みの者がまず試験を受ける権利を貰える。脳筋バカでは国王に仕える者として、失格なのだ。毎年入団試験を受ける者は1000人を超えると言われている。まず、最初の筆記試験で半数が落とされ、剣術の実技試験で更に半数。最後の面接で半数が落とされると言われている。「お兄様、正直に話して下さい。いつの段階で、裏金を支払ったのですか?」未だにグズグズ泣くミハエルに静かに尋ねるオリビア。「グズッ……そ、そんなの決まっているだろう? 筆記試験の……段階で、金を支払ったんだよ! 裏口入団に顔の利くブローカーを見つけて……ウグッ! 悪いとは思ったが、家の金庫に深夜忍び込んで……ウウウウッ! 後で返済しようと思って……ヒグッ! 拝借したって言うのに……何も、何もあんな大勢の前で俺を糾弾して、排斥することはないじゃないか! せめて、人目のつかない所でやってくれればいいのにぃぃっ!! 俺はもう駄目だ!! 引き籠るしかないんだよぉおおおっ!! 誰だっ!! 密告した奴は!! ちくしょおおおお!!」年甲斐もなく涙を流しながら吠えまくるミハエルに、もはやオリビアは呆れて物も言えない。(密告したのは私だけど……それにしても呆れたものだわ。実力も無いのに、王宮騎士団に入ろうとしたのだから自業自得よ)けれど、これではうるさすぎて堪らない。そこでオリビアはミハエルを慰めることにした。「落ち着いて下さい、お兄様。確かに恥はかいてしまいましたが、私はこれで良かったと思いますよ?」「何でだよ!! 何処が良かったって言うんだよぉお!!」「だって、考えてみて下さい。お兄様は実力も伴わないのに、高根の花である王宮騎士団に入ろうとしたのですよ? 仮にこのまま騎士になれたとしても、いずれすぐにボロが出て不正入団が明るみに出ていたはずです。もしそうなった場合、国王を騙した罰として、不敬罪に問われて処罰されていたかもしれませんよ?」「な、何……不敬罪…
「お兄様、一体何を大騒ぎしているのですか?」オリビアは咆哮を上げている兄、ミハエルに声をかけた。「え……? あ!! オリビアッ! お、お、お前……何故この部屋にいるんだよ!!」ミハエルは涙でぐちゃぐちゃになった顔を向けてきた。「プッ」その顔があまりにも面白すぎてオリビアは吹き出す。「オリビア……今、お前吹き出しただろう? つまり笑ったってことだよな!?」「いいえ、笑っておりません。クッ……クックク……」とうとう我慢できず、オリビアは俯き肩を震わせた。「ほら見ろ!! やっぱり笑っているじゃないか! それに一体何だ! 何故勝手に人の部屋に入って来ているんだよ!! 俺は誰にもこの部屋の立ち入りを許した覚えはないぞ!!」顔を真っ赤にさせて涙を流すミハエル。オリビアは今にも笑い出したい気持ちを必死に抑えて話を始めた。「私がこの部屋に来たのは、部屋の扉が全開だったからです。そこで中を覗いてみると、お兄様が狂ったように泣き叫んで暴れる姿を目にしたので部屋に入ったまでですが?」「何? 部屋の扉が開いていただって? 嘘だ!! 扉は閉まっていたはずだ!!」「いいえ、開いておりました。お兄様は物を投げて当たり散らしていましたよね? 恐らく何かが扉に当たり、はずみで開いたのではありませんか? そう、丁度このクッションのように」平気で嘘をつき、足元に落ちていたクッションを拾い上げた。「そうだった……のか……?」未だに涙を滝のように流している兄、ミハエル。「ええ、そうです。それでお兄様? 一体何をそんなにないておられるのでしょう? もう妹にみっとも無い姿を見られているのですから、この際胸に秘めた思いを口にしてみてはいかがですか?」「わ、分かった……聞いてくれるか? オリビア……」袖で涙をゴシゴシ拭うミハエルに、オリビアは笑顔で頷いた。「はい、何でも聞きましょう」「今日は……し、新人騎士団の……ヒック! 初めての顔合わせの日だったんだよ……そ、それで他の新人たちと整列して、憧れのヒグッ! キャデラック団長を待っていたんだよぉ……」グズグズ泣きながら、ミハエルは語りだした。泣きじゃくりながらの説明だったので若干分かり辛さはあったものの、詳細が明らかになった。ミハエルは高揚した気分で憧れて止まないキャデラック団長を待っていた。そこへマントを羽織
オリビアが自転車を飛ばして屋敷へ戻ってくると、予想通りに面白いことが待ち受けていた。「お帰りなさいませ、オリビア様」フットマンが恭しくオリビアをエントランスで迎えてくれた。「ただいま。ところでお兄様はもうお帰りになっているのかしら?」今の時刻は16時を少し過ぎた辺りだった。今日は入団して初めての顔合わせと訓練が実施されると聞いている。もしも予定通りミハエルが訓練を受けているなら、まだ帰宅してはいないのだが……。「ええ、実はもうすでにお帰りになっております」フットマンの声が小さくなる。「あら? そうなの? お兄様は確か今日から王宮騎士団に入団し、訓練をうける日だと聞いていたけど……妙な話ね?」わざとらしくオリビアは首を傾げる。「はい。私たちもそのようにお話を伺っていたのですが……ミハエル様は11時には帰宅されてきたのです。しかも何やら、ズタボロの姿に……あ、いえ! かなり髪型と服装が乱れた様子で戻られました。気のせいか、何やら目頭に光るものが……い、いえ! 今の話はどうぞ聞かなかったことにして下さい!」フットマンはぺこぺこ頭を下げてきた。「ええ、聞かなかったことにするわ。でも、それは心配ね……自分の部屋に戻るついでにお兄様の様子を見に行ってくるわ」「はい! お願いいたします! 何やら酷く興奮されているようでして、もう我々では手に負えないのです」「分かったわ、任せて頂戴」頷いたオリビアは鼻歌を歌い、軽やかにステップを踏むようにミハエルの部屋を目指した。**** ミハエルの部屋はオリビアの部屋よりも手前にあり、日当たりも良く最高の場所にあった。冷遇されていたいオリビアは一番通路の奥の部屋に追いやられ、いつもミハエルの部屋の前を通るのが嫌で嫌でたまらなかったのだが……。「今日ほど、自分の部屋が兄よりも奥にあることを感謝したことは無いわ」ミハエルの部屋を目指して廊下を歩いていると、部屋の前で数人の使用人達が佇んでいる姿が目に入った。使用人達は困った様子でミハエルの部屋を見つめている。「ただいま。あなた達、ここは兄の部屋よね? 一体扉の前で何をしているの?」オリビアはしらじらしく使用人達に声をかけた。「あ、お帰りなさいませ。オリビア様」「実はミハエル様が部屋の中で大暴れしているのです」「時々、大声で吠えたりしているので不気
――放課後帰り支度をしていると、エレナが声をかけてきた。「オリビア、今日は1日ずっと楽しそうだったわね。何か良い事でもあったの? 昼食はアデリーナ様と一緒だったのでしょう?」「ええ、一緒だったわ。勿論アデリーナ様との食事も楽しかったけど、それ以外にも今日はこれから楽しいことが起こりそうなの」「あら、どんなことかしら。教えてくれる?」「ええ。いいわよ。それはね……」そのとき。「エレナ、迎えに来たよ」エレナの婚約者、カールが現れた。「まぁ、カール。今日は早かったのね」「それはそうさ。早く君に会いたかったからね。ん? オリビア、君もいたのか?」カールはオリビアの姿に気付き、声をかけてきた。「ご挨拶ね。ええ、いたわよ。でもお2人のお邪魔みたいだから、すぐに帰るわ」するとオリビアの言葉にエレナとカールが驚く。「え? オリビア、私は少しもあなたが邪魔だなんて思っていないわよ?」「そうだよ。オリビアはエレナの大切な親友じゃないか」2人の言葉に笑うオリビア。「ふふ、ほんの冗談だから気にしないで。それじゃ、又明日ね」オリビアは手を振ると、教室を後にした。「本当にエレナとカールは仲が良いわね~」独り言のように呟くと、突然背後から声をかけられた。「何だ? もしかして羨ましいのか?」「キャアッ!」驚きのあまり悲鳴を上げて振り向くと、マックスの姿がある。「びっくりした……何もそんなに大きな声をあげることはないだろう?」「それはこっちの台詞よ。マックス、突然声をかけてこないでよ」「ごめん。オリビアの姿が目に入ったから、ついな。ところでオリビア。ここで出会ったのも何かの縁だ。ちょっとこれから一緒に出掛けないか?」「え? 出掛けるって一体どこへ?」「今夜の食材を買いに行こうかと思っていたんだよ」「つまりは買い出しってことね?」「買い出し……か。う~ん……その言い方は少し語弊があるかもしれないが……買い出しには間違いないか……」マックスの態度はどこか煮え切らない。そこでオリビアは首を振った。「ごめんなさい、マックス。折角だけど、私行かないわ」「え? 行かないのか?」「ええ。実は今日、早く家に帰らなければならないのよ」「家に帰らなければって……オリビアは家が嫌いじゃ無かったのか?」「ええ、確かに嫌いよ」マックスの言葉に頷く。
その日の昼休みのこと――オリビアは中庭にあるガゼボに来ていた。今日はここでアデリーナと待ち合わせをして一緒に食事をすることになっていたのだ。「今日もいいお天気ね……」ガゼボの中から中庭を見つめていると、アデリーナが手を振ってこちらへ駆けてくる様子が見えた。「アデリーナ様っ!」オリビエは立ち上がり、笑顔で手を振る。「ごめんなさい、オリビアさん。待ったかしら?」息を切らせながら、ガゼボに入って来たアデリーナ。「いいえ、私も先程来たばかりですから気になさらないで下さい」「そう? なら良かったわ」2人で並んで座るとオリビアは早速持参してきたバスケットを開いた。「アデリーナ様、我が家自慢のシェフが腕を振るってサンドイッチを作ってくれました。他にもマフィンやスコーンもありますよ。早速頂きませんか?」豪華な食事に、アデリーナの目が輝く。「まぁ、美味しそうね。本当に頂いてもいいの?」「ええ、勿論です。では早速……」「待って! オリビアさんっ!」不意にアデリーナが止めた。「アデリーナ様? どうかしましたか?」「食事の前に、まず昨夜のことを謝らせて貰えないかしら? 折角楽しい食事の場を提供してもらったのに、私ったら途中で酔って眠ってしまったでしょう? 恥ずかしいわ……本当にごめんなさい」憧れのアデリーナに謝られて、オリビアはすっかり慌ててしまった。「そ、そんな。謝らないで下さい。私、むしろ嬉しかったんです」「え? 嬉しかった? 何故かしら?」「セトさんが言っていました。アデリーナ様は本当に昨夜は楽しそうだったって。楽しくお酒を飲めたから酔って眠ってしまったってことですよね?」「ええ。その通りよ。あんなに楽しくお酒を飲めたのは初めてだったわ」アデリーナは頷く。「私もすごく楽しかったです。だから謝らないでください。そうでなければ……また、お誘いすることが出来ませんから」「分かったわ。また是非、一緒にマックスさんのお店に行きましょう?」「はい! それでは早速頂きませんか?」オリビアはバスケットをアデリーナに勧めた。「ありがとう、それでは頂くわね」こうして、ガゼボの中で2人のランチ会が始まった――「本当にこのサンドイッチ、美味しいわ。さすがフォード家のシェフは一流ね」アデリーナが感心した様子でサンドイッチを口にする。「ありが